捨てた一枚の写真
アオスジアゲハの給水シーンを別のアングルから撮った写真を「全体的にボケている」という理由でDeleteしてしまった話を、師匠にアオスジアゲハの写真を送った時にエピソードとして添えた。
返ってきた返事が、心に刺さった。
カメラだけじゃなく、撮る被写体の勉強も必要と自分は思います。
撮りたい被写体を学ぶことは今後の撮影で、どうすれば良い画になるか?を決められるようになるので、とても大切なことになりますね。
技術的には「翅がぼやけた写真」でも、生態を知ってたら、「アオスジアゲハの吸水行動を捉えた写真」として見ることができた。
写真そのものは同じなのに、撮る側に知識があるかどうかで、その写真から見えるものが変わる。
翅だけ見て失敗判定せずに、口吻が地面に伸びてるか、どんな姿勢か、何頭集まってるか、地面の湿り具合はどうかまで見るようになる。
今度は「綺麗に撮れた蝶」だけやなく、「何をしている蝶なのかが伝わる写真」が撮れる。
「吸水という行動を知っていれば、その写真の価値に気づける」
「被写体そのものを勉強することが、次の撮影につながる」
メールには「写真って偶然や運良くの量産」とも書いてあった。
運は操れないけど、知識があれば運を拾える。
今回、みとは運は拾ったのに、その意味を知なかった為にゴミ箱へ捨てた🦋🗑️👼
📷🦋 :初代殉職。
死因 :撮影者の知識不足。
これを無駄にはしません!<(`・ω・´)